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メモ、日記、レヴュー、愚痴、
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前回の更新で都市に住みたいとか書いてる。
今、考えてるのはまた正反対のこと。
こんなにもころころと考えることが変わっていくのはどうなんだろう。
この先、大丈夫か俺!

東京の情報。
幻の知識。

それでもそこに行きたくて履歴書を送ったりしたけれど、
まーだめでした。
日常をこなしながら、情報を集めることすらできなくなって、
何も考えずに飽きるまでしばらくぼーっとしてた。
そんなときに見つけた思想地図βとTBSラジオ『LIFE』。
かなりおもしろい。
地震以降の何かが変わっていくだろうって漠然とした予感。
その予感にどんどんと肉付けがされていく感じ。
生活の方もリンクしていってて、年内に職場が変わる。
そのまま遅くとも二年後には独立したいって考えてる。
つか正日、死んでるし。
まじで世界が変わっていく。
世界?いやシステムが変わる。
今。
すぐにではないけれど。
後少しだけ続く今のシステムを利用して、
自分たちの世代に取り戻したいって思ってる。

生きている実感や、
発言権や、
貨幣、
モラル。
同世代間の緩い連帯とか。
ぬるい、ではなく、
ゆるい感じ。
心地よい人のつながり。

全部取り戻して俺らでわけわけしよう。

古い世代にこのままついていくのは、もうずっと前から飽きてたし、
すげーばかな俺らでもこのままじゃやばいってわかってる。
個人は悪い人はいないってわかる。
古い組織や古いメディア古い思い込み。
国とか県とか、町とか家族とか、そういう単位じゃ俺ではすぐに変えられないけれど、
自分で新しく作った組織なら、やりたいことがやれそうだって思う。
取り戻す。
おもしろい生活を。
未来を。

なう。TBSラジオ『LIFE』テーマ:ゲームと社会設計


だから情h報を。
今度こそリアルな、情報を集めてる。
検索とかじゃ探せねーし、人から聞くしかないし。
なけどここでもまた、
わけのわkらん、古い思い込み。
ほんま情報の共有とか今の常識だろーよ。







つーか、もう年末じゃん。
2011終わるし。
2012ほんま真剣にいきてみます。





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昨日は映画、「ヒバクシャ」を見る会でした。
劣化ウランのこと、原爆症のこと、プルトニウム生産工場のこと。
知っていた気がしてたのに、理解できてなかったいろんなこと。
どうしようもないくらい、世界中に漂っている放射性物質。
悲観的なことなんか通り越して、ただ、生きていかないとって思う。
寿命短く、癌なんかになっても、それでも死ぬ最後の日までは。

書きたいことはたくさんあるけれど、
知ることは、めんどくさいし、考え事が増えるだけだし、
そもそも正しいのかわかんないし。
自分で知ろうとしないとしょうがない。
原発なんとなくやだなって、思うなら見た方がいいと思う。
ここでも何度か曖昧なことを書いていたけど、
本当に今更ながら、今更だから反原発の立場です。
なにがどう嫌だとかは、立場や、環境や、なんやかんやで決まってしまうもの。
だからこれが嫌だって強いて言うならば、他の選択肢がないことが嫌だ。

それで、最近。
自分の身にも変化が起きてきた。
転機がすぐ近くに来ている気がする。
いろんな流れにのって、
上勝に行ったり、
新しい人間関係を作ろうとしてきた今年の前半。
その中で漠然と起きる自問自答。

それらの自問のほとんどにヒントをくれたのが、
佐々木俊尚さんのツイート群。

今。

自分が向き合っている情報と自分の生がきちんとリンクしているかどうか。

自分の生活に本当に必要な情報を得ているのか。

あるいは得ている情報と、自分の生活をどうリンクさせられるか。

どうしようか。
とりあえず嘆いておこう。
最近久しく自問自答なんかしてなかったから、
自分の正直な気持ちが自分でも気づけてなくてびっくりだった。

街に住みたい。。。
今、無駄に漁ってる情報と関われる暮らし。



不謹慎なことも込みで…


最初に心がざらついてたのは漠然とした不安から。
それから、どこかにある安心を見つける為に、不安から身を守る為に、
情報から離れられなくなった。
二三日たつととてつもない疲労感で思考がぐらつき、安定しなくなって、
いよいよ無力感や、虚無感でいっぱいになりそうになって、やっと情報の渦から離れられた。
普段から情報に飢えまくってて、しかも中毒してないなんて過信してたのが、こんなことにならないと自覚できない。情けなくてまた落ちたり。それでもなんとか冷静に日常に帰ろうとしてた所に例のやつ。
原発とその周辺の異なる意見。冷静に見極めたいと思いながらも、既に見聞きした話や、猜疑心が視界を狭くする。また情報の渦に引き込まれそうになる。そんなときに、気づいてしまったクソみたいな、信じられない思い。

また自分とは関係のない所で、ことがおこってしまった。
なにもしようのない状況で、なにかの行動を求められているような。
リアリティのない、正確な情報のない、身をもって体験できない災害、人災。
はじめは無力感と同じ感情だとおもっていたそれは、
人格を疑われるかもしれないけれど、疎外感だった。

たくさんの被災者の冥福は心から祈る。
でもその祈りはとても漠然と、暗い夜の空に呑み込まれどこにも届かない気がしてならない。
自分は何を祈り、何にがんばれっておもってるのかわからなくなる、この何も起こっていない此処では。
そして、そのうちにまた疎外感に浸食されて、自分が、なにもできない、わからない自分に不安になって、
頭の中の既に知っている情報に拠り所を求める。
そんなループから抜け出せなくて、正確ではないかもしれない情報を友達に押し付けたり、その正反対の情報に誠実さを感じて思い直したり、考えることをやめたり。
今はようやくいろんな身近な人の考えを聞けて冷静になれた。
冷静になって感じるのは自分の弱さと想像力の欠如、そして今回のことを自分にとってリアリティを持って行動できてる人達の存在。とその行動の影響力。よくも悪くも。




そして、今朝、ここに帰って来てずっとそばにいてくれた、励ましてくれた猫師匠が逝ってしまった。
最後の最後まで師匠らしく、自分にとってのリアリティのある死に触れさせてもらった、思い出させてもらった。
日々を共有して、感謝することがたくさんあって、笑わしてもらって、そんな存在がいなくなる悲しさ。
それが、その悲しさや思い出が万単位になるあの場所。この先に理不尽な悲しみがたくさん出てしまうかもしれないこと。師匠のおかげでほんの少しだけそれにリアリティが持てた。その暖かさと引き換えに。
感謝。

どうしていいかわからないけれど、
今思いついてないやり方ではあるかもしれないだろうけど。
間違ってるかもしれないけれど、
ようやく自分にも今回の地震とその関連の事故にたいする気持ちが整理されそうな感じ。




なんやけど、
寂しい夜だ。
すごくすごく。

寒い夜だ。











明けて13日



間違って全部消したー!!!!!!

昨日の言葉の補足を長々書いたのに…

まーもういいか。

ようするにまとめれば

それでもネパールの人は笑ってたよって話と

自分の好きな人全員に

ファンです応援してますって思ってるって話

でした…

もったいない
2011/01/12

たくさんの思いが駆け巡った二週間
そしてそれは日本の高速道路からの眺めをぼーっと見ているうちに
心の底のほうに沈殿してしまって
いざパソコンに向かうと
どうやっても
浅い
シンプルになってしまった言葉しか掬えない
それでも
一応は書いてみなくちゃって
机に座って
ネパールのタバコに火をつける


2010/12/27

徳島ー大阪―香港ーダッカ―カトマンズ

向かう先になにかしらやるべきことがあるからなのか
不安もわくわくも程よい感じで
ごく自然に日本を出た
新年から読み始めようと思っていたハーモニーを半分程
機内で読む

虐殺器官から少し未来の話
健康と倫理が世界を支配し
理想的な社会になった近未来の綻び
その結末がどうなるか思いめぐらすうちに
カトマンズ空港

P.M.10:00

空港の外はタクシー運転手
客引き
物売り
ニート
人であふれかえってた
荷物を強引に持たれ車まで
勝手の分からないままチップを要求され
どうにかやり過ごすも
後輩はしっかりチップを渡してしまっていた

ホテル着
就寝

2010/12/28

快晴
日向は半袖でも大丈夫なくらい
日陰は恐ろしく寒い

現地スタッフと顔合わせ
仕事の準備
移動の段取り

カトマンズをぶらぶら

ゴミ
乞食
焚き火
野良犬
クラクション
排気ガス
停電
ビール
ビール
ビール

就寝

2010/12/29

カトマンズーベシサワールーガレガオンーブジュン

早朝ハイエースに乗り込み
北西へ三時間
延々続く峠道
小さい集落
中くらいの町
ベシサハールで昼食
サンダルを買った

ジープに乗り換えて
日本の林道よりも相当傷んでいる悪路を四時間
水力発電の技師の
シャンカール氏が合流
頭や体をジープにぶつけながら進む
道から落ちれば
何十メートルはある崖の下
屋根の上には現地の若者が数人

ガレガオンからは徒歩三時間
標高2200Mから
1600Mぐらいまでおりる
道中アンナプルナの雪山達に初対面
エベレストとアンナプルナは同じ連なった山だと思っていたけれど
勉強不足
カトマンズから西に広がっている山々がアンナプルナ山群
東に広がるのがエベレスト山群
それでもアンナプルナ1が8091M
ダウラギリが8167M

遠くの方ではあるものの
もの凄く美しく
清廉で
巨大

三時間下っていった最奥の村ブジュンに着いたのが五時半頃
村のホテルからはラムジュン・ヒマールに夕日が当たって
赤く輝いていた

夕ご飯は
ライス
ジャガイモ
菜っ葉
豆のスープ(ダル)
ブジュン村付近に住むグルン族は料理ができない
毎日毎日このメニューだけが命の糧になる
普通にうまかったけど(ダルだけは超マズい、ネパール族のダルはそこそこうまい)
二日で飽きる
あとはそれぞれに持ってきているみそ汁やふりかけや梅干しでどうにか
食いつないでいた

早めの就寝



2010/12/30

ブジュン村の責任者やオペレーターと合流
仕事についてあれこれ確認した後
朝ご飯ゆで卵二つ

前回に完成していたロープウェイの修理
問題点の洗い出し
今回のロープウェイの基礎工事
設営方法の確認等々
ロープウェイの端から端まで行くのに往復二時間半程
約4000段くらいの石段
学校にも
農作物を運ぶのも
この石段を登る

ブジュン村の夜は何もすることがない
夜飯ができるまでは料理をするおかみさん(ジュニー・グルン)
のそばで暖をとりながら酒を飲む
飯を食いながら酒を飲む
眠くなるまで酒を飲む
そうしてだいぶ酔いどれたら便所に行く
便所からの登り階段をのぼるとものすごく近くに星空が見える
煙草を吸う
囲炉裏端から日本語とグルン語が入り交じり聞こえててくる
ようやくまったく別の
でもなにかよく似た
別の国に来たことを実感した
不思議な世界に迷い込んだって感じるくらい
酔っぱらって就寝



2010/12/31

大晦日

この日も変わらず仕事
オペの名前を覚えた

ガンビール・グルン
ビジュリ・グルン

二人にワイヤーの編み方を教えたり
ウィンチの修理をしたり
その他もろもろ

ウィンチ小屋にはたくさんのじじ
ばば
子供(だいたいの子達はほんまにマンガみたいに鼻水が垂れっぱなし)
おばちゃん
おっちゃんが野次馬に来る
子供達はシャボン玉で遊んでいる
シャボン玉とラムジュンと高い青い青い空
って思ってたら三時頃雨

夕方には宴会が始まり
飲み
食い
歌い
踊り
日本時間の新年には既に何人か潰れ
現地の新年を迎える人は少なかった

シャンカール氏の社員や
地元の青年団の団長(30歳ツル・グルンーサッカー大好き)
隣の家のサパナ・グルン(22歳かわいい)
サパナのママ
ジュニの娘カシ・グルン(25歳)
発電所の管理人チャロさん
なんかが入れ替わり立ち代わり訪れて
凄く楽しい宴会だった
ただ新年って感じはまったくなくて
何か思う暇もなく
次の日も仕事



2011/01/01

山に囲まれているブジュン
真っ赤な初日の出ってゆうのはみえなかったけど
早朝は空気が冷たくてピンと張りつめてて
清々しかった
太陽があたってだんだんと暖かくなる感じが
体と同調して気分もだんだんと楽しくなる
この日はまた一番下まで降りなければならず
たくさんの荷物を持って1時間程歩く
仕事を終えてきた道を引き返す途中

”My Life is FUCK”

石段に英語で彫ってあった
眠るまで
いろんな感情
思いが交錯したけれど
不思議に嫌な気持ちにはならんかった
答えなんてのはないんだけれど
考えだしたことその行為だけを
答えと思えるように言い聞かせて

一番先に思ったのは19才の俺の大阪のアパートのひきだしにも

同じ文章が書かれてあったこと
つかまだ今の家にもあるんだけれど
恥ずかしながら
それでまず思わず苦笑してしまった

この道程を毎日毎日歩いてるんだ
絶対にこう思わずにはいられないよな
でも英語で書かれていたこと
多分外の世界を少なからず知っているってこと
俺ら日本人が便利を持ち込んでしまったこと
その影響
罪悪感?
親切心?
それでいて生活は楽にはならないこと
そしてそれでも十分に生きていられること
しあわせそうな側面
過疎化の側面
出稼ぎに行く男達
半端な教育
素朴な笑顔
警戒心
携帯電話
過去と未来の混沌
障害者の多さ
隣近所の親密さ
ばかでかい棚田
心を毎日折る石段
物流からも
観光からも閉ざされた村
カルマ
運命
うんめい?

世界はどうしたっていろんなものの
影響下で
相互関係で
神様なんて者の下で

俺がアイフォンでどうにかコミュニケイトしようとした
事実もいつかのなにかの原因で
俺がそうしなくてもあの村はもう何万年も前から始まっていて
変わってきていて
変わろうと
良くしようと
良くなろうと
変えないでいようと
良いままでいようと
いろんな
たくさんの
感情にさらされて
交錯して
日本の大人達も
良くしてあげようと
技術を分けようと
自分を良くしようと
反対に影響をもらおうと
分けてもらおうと

いや悪い意味じゃなく
自分のネパールに来る
動機を作りねつ造してて

それでもそこに
感謝や
笑顔の共有や
アイデアの等価交換があった
変わっていくヒントがあった

俺の現時点での
お前の現時点での
世界はクソかもしれないけれど
その石段をあと二三段のぼったときに
もう一度座り込み
FUCKと彫ることはないだろう
確実に少しだけれど前に進む
じぶんは少しだけれど変わっている
もう登りきった自分をいつも想像するから



に憎悪してしまう
とりあえず二三段登ればいい
そんなことを新年に思った

そんで登りきった俺は
その夜もたらふく自家製のネパール焼酎を胃に流し込む

2011/01/02

ブジュンにきて変わったこと
まず耳鳴りが消えた
そして絶対にお腹がゆるゆるになるって聞かされて来たんだけれど
逆にコロッコロのうんこしか出ず
痔になった
自我が無くなっていって
同行者のおじさん達とすごく仲良くなれたこと
今回の仲間(おじさん達を仲間と呼べることはびっくりする)
まずそれぞれにプロの集団だったのがよかったんだろうけど
索道屋
山屋
林業工学の先生
機械屋
測量屋
土木屋
設計屋
コーディネーター
通訳(ネパール人スレンドラさん)
中でも
機械屋(ブジュンでのニックネームはウイスキーさん)と
索道屋
のおっちゃんがおもしろく仕事もできる人達で
すげー勉強になった
仲間ってのはやっぱり違っている人たちが
一つの何かを作る集団なんだって思った



2011/01/03

仕事を終え
明日は村ごと神聖な日だということで
日本人も休み
またもやいろんな人達が来て飲む

サパナ
サパナママ(52)
近所の女の子アサ・グルン(24)
ユークマリ・グルン(23)
ジュニ(50)の長女ナニ・グルン(30)とその息子ヒットマン・グルン(4)
宿屋の主人(56)
シャンカールさん(42)
カシの旦那さん(29)
アチュン(5)
クル(7)
ウル(5)
カレ(犬)
サンディ(17)
ビジュリ(34歳って聞いてびっくり)
ガンビール(35歳って聞いてまたびっくり三児の父)
ツル

日本語を教えたり
グルン語を教えてもらったり
サッカーの話
音楽の話
両方ともやっぱり世界共通言語だった
結婚の話
恋愛の話
仕事の話
言葉は伝わらなくとも
わかりあえる瞬間
領域があって抱き合って
握手して
伝わらないもどかしさがやっぱり
たくさんあってはがゆくて
ルールが違っててびっくりされたり
呆れられたり
呆れたり
なんだかんだで女の子がいるといつも以上にみんな盛り上がったり
誰でも思いつきそうな冗談の応酬で
それでも笑って
伝わってなくても
それでも向こうも
笑ってて
グーグルアースなんかで見ればブジュンのあの宿屋だけ
なんか光って見えるんじゃないかってくらい
いい空間になってた

2011/01/04

休日
山歩きが好きな人たちについていってトレッキング
高度百メートルあがるごとに
気温が0.6℃下がるらしい
2500Mまであがり
毎日見上げているラムジュンが中腹まで見えた
あとはマチャプチャレや
アンナプルナⅣ
サクラ草やジンチョウゲ
文字通り
雲の上の世界
カレがずっと道案内してくれた

帰ってくるととうるが料理中
日本食を作ってみるっていってたけど
食材がなく
唐揚げと
焼き鳥
ヤギの肉なんだけど
まーうまかった
んでおれは休肝日
ハーモニーを読み終える
物語中ずっと風の谷のナウシカのことがよぎる
意識して書いてるのかはわからないけど
ブジュンがすごく風の谷っぽくて
俺が意識して読んでたのかもわからないけれど
結末はといえばすっとは入ってこなかった
頭では合理的に行くとそうなってしまうことは
理解できる範囲だけれど
まさに結末と正反対の自我がそのエンディングを拒否する
死の淵で書いていたからこそ
こういう救いの方法に落ち着いていったのかなあと
いろいろ考える




2011/01/05

ブジュン最終日
いろんな最終確認と次回の準備
最後の階段の登り降り
俺とガンビールと地元のおっちゃん達
なんとなくやけどコミュニケーションもとれるようになってた
アサの家でお茶をごちそうしてもらう
あさの姉ちゃんジャムナ・グルン(26歳)と仲良くなって
いろいろ話ししてちょっと惚れる
最終日に出会うってのがまたなんかよかったのかわるかったのか
また来るよって軽率な約束をして宿へ戻った
本当にまた来たいって思っているけれど
林業家が携わるプロジェクトは次回までで
またその次はいつになるかわ分からないって話

夜はまた飲んでいて
なんかとうると宿屋のおかみさんは
すごく仲良くなってたから
涙もので
生でウルルン滞在記見てるみたい
俺は同室の林業工学の人と話してて
また少しおもろい目標ができた

欧州の林業はいまだ補助金なんかもなく
しかも食っていける業種で
それで今までにも技術研修で何人か派遣してるって話
日常会話くらいのレベルの英語もしくはドイツ語が話せるって条件で
眉唾
飲みの席の話
ではあるけれど
行かせて下さいって
言ってきた
いまの自分に何よりも幻でもいいからひつようなもの
モチベーションがなんとか保てそうな目標

2011/01/06

ブジュンーガレガオンーベシサハールーポカラ

移動するだけで1日
大変

A.M.6:00出発

また来た道を今度は登りで三時間
太陽と一緒に登り始める

もの凄い悪路をジープで
しかもきちんとチャーターできず
ジープの屋根で四時間(これはこれですげー気持ちよかったけど)

ハイエースで5時間

ポカラ標高800M

ついて夕飯食って飲んで
飲み過ぎて吐いて
この日から
悪道日記/アゴタ・クリストフ
を読み始める

2011/01/07

この旅唯一の観光
ブジュンから降りて来たすぐの
ポカラは
考えられないくらい暖かく美しく
観光地で
一角は洗練されていた
アンナプルナの山々も見渡せる
のんびりするにはほんまにいいところ
ホテルのオーナーは日本からドロップアウトした日本人女性で
いろいろ興味深い話を聞く
土地の値段はあがるいっぽう
カトマンズの中心部は東京並みの値段らしい
食べ物の物価は三年で三倍
服や食器類は下がる一方(たしかに中国産で埋め尽くされてた)
バブルのはじける寸前だそうだ
憲法も決まらず
議席の取り合いに終始する政治家
外国企業のシェア合戦
テレビコマーシャル
一部の資産家と少しの中流と貧しい者と乞食と山間部の無知な人達
どこの世界も同じ構造
それでもさいわいなことに
人のいい国民性だからか治安はかなりいいほう

いろいろと歩き回って疲れて寝る



2011/01/08

ポカラーカトマンズ

カトマンズの昼をようやく見ることになる
主要な川には
ごみごみごみごみごみ
だから
ネパールには水道ってゆうのがほぼない
水はパッキングされたものを買う
結構なんでもあるのに安全な水はない
ここ何十年かで石油製品やなんやかんやが安価に手に入り
人の数が何倍にもふくれあがって
知識は欲望に反比例して追いついてこないから
ルールが出来る暇がない
凄まじい匂い
凄まじい埃や排気ガス
それでもそれを否定できない
嫌だとは感じるし
絶対に肯定できないけれど
これがカトマンズの今だし
東京の昔だし
流れの中の淀み
先進国がきれいなのは途上国が汚いからだってゆう事実
清濁合わせ持つ世界
どうすればいいかなんて疑問が空しくなってしまう世界

耳鳴りがそっこうで復活

夜は地元の人が行く居酒屋へ

水牛のユッケ
水牛の砂肝
水牛のソテー
水牛の肺
水牛の陰茎
水牛の脳みそのお好み焼き

味は想像に任せます



2011/01/09

ブジュンで使う道具や機械
資材を買いに問屋街へ
向こうのエンジニアとかと確認作業したりして夜
今回のコーディネーターのスポンサーじゃないけど
口利きみたいな有力者に
パーティーに招待される
それはもう豪華で芸能人もいて政治家もいて
当然なんかいろいろむかついて
貧富の差を目の当たりにして
でもそのむかつきと裏腹に
またその貧富の差の構造を
ただ考え
むかつき
あきらめ
でもまたむかつくってゆう
こたえがない答えに
行き着いて
客観的になってしまって
酔って眠る

悪道日記読了
二次大戦下のハンガリー
疎開先での少年達の日記

2011/01/10

帰国の日

ネパール唯一の観光資源は
トレッキングなんかのアウトドアすポーツ

外国人が多くいるタメルストリートには
その為にアウトドア用品店が腐るほどある
そして安い
パタゴニアのダウンが1200円とかで買える
ロープやカラビナガスボンベなんかはめちゃくちゃに安くはないけれど
それでも日本よりは安い

服関係はまあ要するにコピーなんだけどそれでも
ほんまのパタゴニアやノースフェイスの工場とかから生地や
パターンやファスナーなんかだけ横流しされてきてネパールで縫う
だからデザインや機能なんかは二年くらい遅いけれどそれでもかなりよくできてる

てことは日本でかなり利益あげてる店もあるんだろうなって邪推してみたり

まあいろいろと買い物をして
空港へ



カトマンズー香港

機内では

ポーの話/いしいしんじ
の一章まで読む

2011/01/11

日をまたいで

香港に着き
5時間のトランジット待ちのあと

香港―大阪ー徳島ー鷲敷

母親の作ったサバの味噌煮

暖かい全身浸かれるお風呂

やわらかな寝心地の布団

泥のような睡魔


そして

2011/01/12

重力から
社会から
倫理
血筋
カースト
生活
思い込み

しがらみ
カルマ
雰囲気
自分自身から
そのようなものから
自由になるっていう動機から生きてきたこれまで
その動機からさえ自由になってきたこの頃

あらがってもうけいれても
あらがわなくてもうけいれなくても
すべては繋がっている
目には見えなくとも

目には見えないから
悩み
考え
絶望したり
希望を持ったり

そんな繋がりや
向上心や
哲学的なことが
科学的にも証明されてきた21世紀

ハーモニーの結末の世界にまでは
まだ先は長い

この世界をどうにかまだ生きていくのなら
本当に今まで何度でも聞かされた
もう現代では効力を失った
おざなりな予定調和な
合い言葉のようだけど

自分で考えて行動すること

自分で選んだって意志と
自分の体が描いた軌跡と
それによってできた変化を
見逃さない感受性

あとは流れに身を任せるだけ

何が幸せかなんてのは死ぬまで分からん
何が愛しているかなんてのも一緒
それでもどうにか伝える必要が出来たときに
こんなことしか言えないのは情けないけれど
こんなことを言うことでしか
ありがとうだとか
大好きですとか
尊敬していますだとか
むかつくだとか
大嫌いだとか
を言えないんだよ


そしてこの旅で
自分は境界者(なんかの映画の受け売りやけど)
ボーダーズであると再自覚した

ひとところにじっとしていられない
現状を維持することが苦手な飽き性
浅くてもいいからたくさんのものが見たい
まだおさまれない
生活の場がここであろうとも
思考だけでも
瞬間だけどもいいから
自分という存在をもう少しだけ漂わせていたい

いまだに先のわからない不安とひきかえではあるけれど
自由に流れるままに

路上/THA BLUE HERB






ハイライト

ブジュンからの帰り道
ちょっとした丘の上から見た
360°
山だけの世界
太陽が近くて
ラムジュンやマチャプチャレが
光を反射して
自分が濯がれているような
焦がされていくような
自分も景色の一つになったような

そんな記憶

48時間後にはカトマンズ。
不思議だ。
いつかは行きたいと願っていた国。
前回の旅行とは違って、そこにやる事があり、
そして一人じゃないってのがまた何か発見できそうな予感がする。

カトマンドゥ。
ポカラ。

世界で一番高い場所が見える所。

この前しょうもないこと書いたばっかだけど、
たぶん旅の間は心なんてものは開きっぱなしで、
脳内垂れ流してて、
自我なんてなくなってさ。
その状態をここに持って戻ってきて、
できるだけ維持してみたいと思ってみたり。

まーその前にきっちり仕事はこなしてこよう。

よいお年を!

つか準備が終わってないんだって。
混乱してる!



************************************************************************


帰ってから、悩んだりしてもいいようにと思ったのだ。


いろんな文章メモメモ。


決まり事、お金、将来、夢のことなど。
子供の頃にも若い頃にも、みんながこぞって、私に教えようとしたこと。
「世の中からはみださないようにしなさい」
「もっと大きな声で、語尾までハキハキと自信を持って答えなさい」。
でも、本当にそうなの?
みんな頭だけで、口の先っぽだけで言っているんじゃないの?
この世界は本当は、誰にもなんにも分からなくて、
ゆらゆらしてて、あてどのないものなんじゃあないの?
だから私は、自分で見つけることにした。
迷うし、ぐちゃぐちゃだし、情けないし、
しつっこいし、どこからどこまでが自分なのかも分からないけれど。
目の前にあるものをしっかり見、
隣にいる人のことをちゃんと感じ、
空気の匂いを嗅ぐ。
そうやって、感受性をすり切れるまで使うことでしか、
この世を確かめることなんてできないから。

今日もいち日、ぶじ日記/高山なおみ


糸井 あのね、徳光さん、
      いまわかったんですが、
       言われてうれしいことって、
        自分では本当はわかってないんですね。

徳光 そうだと思います。

糸井 「おまえは何を目指してるか、言え」
       と言われて、言うことはできるのかもしれません。
        けれども、それは作ったことです。

徳光 うん、うん。そうね。

糸井 「無意識が狙ってること」
       は、いつもわかんないんですよ。


ほぼ日から


長く執拗に自分をさいなむ「喪失感の焦点」、
それこそ自分の求めるものだ。

本当に出逢ってしまったもの、
失うと生きられないほど大切なものを、
あなたは何ひとつ失っていない。

だから、その色の無い、虚しさだけの道を、コツコツと
進んでいればいい。先へ、先へ、そのまた先へ。

喪失感こそ可能性である。

山田ズーニー/大人の小論文教室
宇多田ヒカルのustを見ながら更新です。
高校一年は宇多田ヒカルのファーストアルバムをMDに落としてバスで通ってた。
あれから十二年もたったんだよな。
何度もどかかへ行こうとしてはやっぱりここにいる。
そしてまだどかかへ行くつもりをどうにか持ちながらここでやり過ごしている。
一度はここに死ぬまでいることを覚悟したけれど、
たくさんの幻がまとわりついてまだまだどうにも動けないけれど、
それでもその気持ちは消えないままだ。
その気持ちがまだじぶんをあやふやな存在にし続けていることはわかってるんだけど。
ってゆうのはおいておいて、
宇多田ヒカル、自分でCD買わないけど今ライブでやってるの全部わかるし、
全部かっこいい。というか大好きだと思う。
そんなふうないろんな大好きを自覚しないように、
気づかないようにしてきたんだろうなって思うこの頃。

心を開く。
ってことを、
心を開くという意味や、
その状態の事を最近はずっと考えてて。
その過程で感じたこと。
本当に欲しかったもののこと。
自分が大好きだったもののこと。

いつからかわかんなくなったけど、
理由も解らないけれど、
心は何かの理由でとじてしまった。
鍵は開いてはいるけれど。
28年間の生活の中で訪ねてくれる人たちに救われたり、
気まぐれに出掛けて、素晴らしい音楽とか風景とかに出会えることもあって。
閉じられ続けていた訳ではないし、
その少なくはあるけれど心が開けっぴろげな状態は、
人生で最高にいい思い出たちだと思う。
それでも閉じた状態が圧倒的に多い自分は、
決まった人と居る事が難しい。へたくそだし、多分気を使わせているし、自分も辛い。
いろんな二つ名も頂いた。
嘘つき
だとか
大人っぽい
だとか
卑怯者だとか
不思議とか
クレバだとかさ、
最初のうちは誰かの望む誰かになっちゃったりするんだ。
閉じた心は表面は凪いでいてまるで鏡のようにだれかを映せるような気がする。
内面は荒れているんだけどな。
でも荒れた自分を見てくれた人が居るならそれは、とてもありがたい、甘えられていた人なんだと思う。
それは少数だけどいたと思う。ほんとにありがとう。
そんでどうすれば開くか?
そもそも開きたいのかってとこで今はまた堂々巡り。

その自問自答の中で思う事がある。
いつからか、思い込みなのか、
刷り込まれたのか、自らそんな風に追い込んだのか、
それはもうなぜかはわからないけど、
いや、自分の弱さだとか、いろんな原因はわかってるんだけど。

俺はそんなにも世界を憎んではいない。

もしくは、

俺が思う程世界はくそみたいなもんじゃない。

なにをそんなに憎んだり、嫌ったり、変えようとしたりしたんだろう。


俺はこのくそみたいな世界のことがたぶん大好きだと思う。

それはいまのこの場所や、状況や、なんやかんやを全部肯定する訳じゃないし、
なにもかも諦めてまた自分の中に閉じこもって好きな事だけしたいってことでもない。
欲求にしたがって多分ずっとここにはいあられないし、
今の仕事から解放されたい、やりがいのある事をしたいと思うし。

そんな気持ちや、誰かを疎ましいとかめんどくさいとかってだめな気持ち、
そんなものも含めて。

この言葉で少しは扉が開いたんだろうか。
少しは欲しい物に近づくのかな。


あ、アンコールでtime will tell。めっちゃ好きな曲だ!
なんかいきなしツイッタみたいになった。

ってなことを最近考えた。

*******************************


んで

虐殺器官という小説がおもしろくてかなりじっくり読んでて、
昨日読み終わったんやけど、いまの考えにもすごいリンクしてて、
今年の読み物の五本指。
戦争もの、テロものなんやけど、近未来感がすげー説得力あるし、
哲学的やし、人物の真理描写は繊細やし、文章もひきこまれるし。
ほぼ日で読んだ脳科学の話や、押井守ファンだったりとか。

最近読んだん二つともにクジラが出てきてクジラ見に行きたいし。

ちなみにことしの五本指。

王国/よしもとばなな
うたうクジラ/村上龍
虐殺器官/伊藤計?(PROJECT ITOH)
三月のライオン/羽海野チカ
ウェブページやけどほぼ日のお金特集

の五本指。
あとは、

半島を出よ/村上龍
日々ご飯/高山なおみ
破天/山際素夫
もやしもん/石川雅之
最後のマンガ展/井上雄彦



来年読む。

切り取れ、あの祈りの手を
繁栄=明日を切り開くための人類十万年史
ハーモニー
宇宙船とカヌー
主に泣いてます




村上龍の歌うクジラを読んでいる。
あいかわらず、
日常のなかで意識に貼り付いてくる、
薄い膜みたいなものを剥ぎ取られるような内容でいろいろと痛い。
物語も終盤にきて最近は暇があれば読んでいる。

想像すること。
考えること。
が主題になってて、ここでいつも、考える、とか想像するとか言ってる
自分の稚拙な独りよがりの文章が恥ずかしい。
自分がいう考えるは自分だけを救うもので、
その他のなんの役にも立たないことがみえてしまう。

想像することの大切さ。
知っているつもりだったのに。
ここで、
ある時期から繰り返されてきたポジティブそうなきれいごととか、
自分に言い聞かせてきた肯定的な文句。
それは実は考える事、想像する事を拒否しはじめた兆候だったんだ。
ひとつ。
ふたつ。
ようやく自分の中で解決していくいろんな悩みやコンプレックスの中で、
解決する度に新しく始まる悩み。
そいつらのことを考えるのを放棄したのが今の自分。
そいつらは今までの悩みと出所は同じで、
同じように対処すれば大丈夫だってやり過ごしてきた。
悩みの出所は同じだってのは間違ってない。
でもしばらく前につくりあげたマニュアルじゃだめなんだ。
マニュアルで対処しようとすると、
一歩引いて、
問題にどっぷりつからずにやり過ごそうとしてる。
悩み事と一緒にまた落ちる所まで落ちるのが辛いから。
でも落ちてみないと何が核なのか解らない気がする。
今はそうしてないから、
落ちてない代わりにどうすれば答えが出るのかがまったくわからない。
問題が顔を出す度に、
なだめてすかしてその場だけしのいでるような感じ。

想像する事。
何度も何度も、
それでそのあとに、
想像を破壊する事。
毎日の中で想像する事にも偏りがでてきたんだ。
うまくいったやりかたでずっとうまく続けて行ける程、
生きて行く事は甘くない。

想像する自分を想像してみる。
うまく思い浮かばない。
この先の自分を想像してみる。
うまく思い浮かばない。
自分に足りないものを想像する。
結構いろいろ思いつく。
その足りなさをどうすればいいのか想像する。
うまく思い浮かばない。
したいことを思い浮かべる。
にやけてくる。
したくないことを思い浮かべる。
意外にうまく想像できない。

考える、想像するやりかたを、
変えれるかな。
今までの思考パターンも悪くはないはずだけど、
このままだとループし続けるだけだ。

漠然とあっちのほうに行きたいっていう感じできたけれど、
漠然としたあっちを、もっと明確に思い描く時期に来てるんだ。

想像する。
自分がどんなふうな自分を尊敬できるのか想像する。
自分がどんなふうな他人と家族になるのか想像する。
どんなふうに老いていくのか。
どんなふうに死ぬのか。

考えるのを実は後回しにしてきたこと。
いつだってそれを考えてみると自分と犬一匹とか、
ぼっろぼろの汚い格好の自分がこっちを見てるとか、
まともな自分が想像できない。
そろそろやり始めないと。
いまのまま考える事を辞めるならその想像は現実になる。
そんなふうな自分を子供の頃の自分は思い描いていただろうか。







タバコジュース/キャンディ
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1982/06/22
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